「パン教室せんせーの心得」

いわなみ家の話

第13話

「パン教室せんせーの心得」

 

これを読んでくれている方の中には、

自宅でパン教室(パンに限らず、自分の特技を生かしたこと)を始めたいんだけど、、

と思っている人もいるかも?

その方たちのお役に立てれば幸いです。

以下は私が生徒さん3名ほどを自宅に招いてパン教室を主宰していたときに特に気を付けていた事です。

【教室主宰者(せんせー)は、常に自信を持った発言をする】

どんな質問が来ても、「たぶん」「なんとなく」「わからんけど」じゃなく、きっちり自信をもって答える。

「こういう理由があって、この方法」というふうに、相手が納得できる言い方をする。

お金もらってますから。

 

【せんせーは、失敗談を惜しみなく提供する】

生徒さんは、どうにもこうにもうまく行かなくて、パン教室に参加してみようと思った方がほとんど。

「失敗あるある」を惜しみなく話すことで、生徒さんの心をわしづかみにします。ガシッ。

 

夜、起きて焼こうと思っていた食パンを、アラーム無視して朝まで放置してしまい、型から流れ出したパン生地をドロドロにしてしまった話。

あるよね~?

パン屋修行時代、塩と砂糖を間違えて仕込んでしまい、漬け物並みにしょっぱいパンが出来て、「いーわーなーみーさんっ!!」と怒られた話。などなど。

年下の先輩に怒鳴られる主婦の図・・。

 

 

【生徒さんたちがパン以外の話に脱線しかけていたら、それとなく引き戻す】

子供の話、妊娠の話、ダンナの話・・聞きたくない人もいます。

パン教室で居合わせたばっかりに思わぬ地雷を踏んでしまったらかわいそう。

パンの話をしたくて集まった、初対面のメンバーですから。

せんせー自ら、熱いパンの話に引き戻します。

 

【せんせー(店主)は背伸びしない】

こうやって自家製天然酵母パン焼いてますけど、月に一度はマ◯ドナルドが食べたくなりますし、ミ◯タードーナツのゴールデンチョコレートは大好物。冷凍庫にパンのストックがなくなれば、パ◯コの超熟もたまーに買います。

パン教室せんせーのときも、パン屋店主やってる今も、背伸びは厳禁で日々過ごしてます。

このテの告白をすると、生徒さん(お客さん)との距離がぐっと近くなります、笑

 

【また来てね、と心の奥底から言う。祈る。ビームを送る】

片思いと同じです。

こっち向いて!好きになって!リピーターになってくださーーい、とね。

 

 

 

「マルチタスク適合者」

  1. いわなみ家の話

第12話

「マルチタスク適合者」

 

このジェンダーレス社会の中で、大学では「女性学」を専攻した当ブログの筆者が文頭に言うのもおかしな話ですが、

女性はマルチタスク適合者です、よね。

マルチタスクとは、1度にたくさんの仕事を同時並行でこなすことができることです。

結婚して子供を持った女性の、ある日の夕方を一例にあげますと、

子供のオムツを取り替えながら、夕飯の献立を頭で考え、ハイヨ!おしりきれいきれい!と子供をリリース。さて米研いで味噌汁作って、、の途中で「う◯ち、でたー」。えー、さっき取り替えたばっかりじゃん、オムツ結構高いんだよー、残り少なくなったなぁ。ハイヨ!おしりきれいきれい!で、Amazonポチっとオムツを発注してたら味噌汁ボコボコに沸いてて、「夕飯要りません」のLINE受信。

「早よ言え~!味噌汁なんて作らんし!」

まんま、数年前(俗に言うイワナミサトコ暗黒貧乏期、笑。第11話参照)の私です。

ワンオペマルチタスクの夕方の続きは、こうです。

新生児1名を浴室に転がして、猛スピードで2歳児を風呂に入れて、半裸で子供を追いかけて体拭いて、自分の髪の毛にまだリンス残ってた・・。

毎日が嵐のようなマルチタスク業務でも、それだけでは私は満足しませんでした。

大人との会話が必要でした。

ド貧乏暮らしの中でも、満ち足りていたのは、他ならぬ、パン教室の生徒さんたちとの会話があったからです。

(これまでの生徒さん約200名のうち、男性は3人だけでした。パートナー同伴の男性はOKのシステムでした)

「せんせ、せんせ、いわなみせんせ!」

親ほど年の離れた生徒さんに慕われ、パンを教える代わりに育児のアドバイスをもらいました。

ドタバタでも順調に子育てをしている私に、なぜか、「赤ちゃんができないんです」「赤ちゃんが流れてしまったんです」と悩みを打ち明けてくれる若い生徒さんも数人いました。

「先月、母を看取りました」

「津波で、家をまるごと流されました」

「子供がずっと不登校で」

「義母の介護でもう限界!でもパン教室には来た!」

 

誰もが、聞いてほしい、話してみたいんです。ほんとはSNSじゃなくFace to Faceでね。

マルチタスク適合者のあなたは、底知れない力を持っています。ふふふ。

 

今日もおつかれさま。

女子ってあれもこれも、やることいっぱいね。わかります!

話、聞きますよ。

いつも聞いてくれてありがとう。

ハグ!

 

 

 

 

 

 

 

「子連れ無職夫婦」

いわなみ家の話

第11話

「子連れ無職夫婦」

 

「大」新聞社を退職して待ち受けていたのは、高額な健康保険料と住民税でした。

「去年までたくさん給与をもらってたってことだよね~」とは言っても、退職後すぐにフリーランスの仕事が軌道に乗るわけでもありません。

フリーランスのフは、

不安定のフ、負け犬のフ、なのかーー?!

 

組織に属さない生き方を決めた私たちは、かっこよく横文字で言うならフリーランス。正直に認めるなら無職夫婦。

後者の方が的を射ています。

フリーランスに優しくない国の制度だよね、、と愚痴を吐いても、払うものは払わねば。

横長の振込用紙、嫌いになりました。

 

当時、夫婦共用のクレジットカードと銀行口座に財源がありました。

2人とも組織にいたころは同額を定期的に振り込み、一足先に私が退職してからは、夫が会社の給与から一部を口座に入金してくれていました。

ダイコン、ニンジン、ポテチ、トイレットペーパー。カードさえあれば必要なときに必要なだけ。ザル勘定でした。

 

次女が3歳ごろの事。

横長の振込用紙が、再び、ちらほら郵送されるようになりました。

「残高不足」

「取引不能」

「未納のお知らせ」

 

次女の生きた年数は、我々夫婦のフリーランス期間。

恥ずかしながら、三年かかってやっと、夫婦共用の銀行口座が底をついたことを知りました。

灯油宅配の引き落としがストップしたときは、文字通り身も心も震えました。

寒い寒いと子供らがビービー泣くなんて、いつの時代の話でしょう・・。

平成が終わろうとしていました。

 

「家賃を払い続ける生活を終わりにしたい」

「ヨーコ(長女、当時5歳)が小学生になるまでには移住先を決めよう」

お金のことで言い争いが絶えなかった我々も、さすがに、口座の底を見て顔色が変わりました。

 

持ち家が持てれば、でっかい業務用オーブンが買える?パン屋開業できる?このじり貧生活を抜け出せる・・かも?

もっと働かないと、このままでは、だめになってしまう。

焦るばかりで何も進まない日々が続きました。

イワナミサトコ暗黒時代です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2人の母」

いわなみ家の話

第十話

「2人の母」

 

私たち家族にとって、初めての福島は東日本大震災後の2014年春でした。

3人 + お腹の中にもう1人。

「被災地の最前線で取材したい」。

夫の強い希望で、また転勤です。

東京と大阪、それまでクルマの要らない生活をしていた私たちは、新生活を控えてカーディーラーにいました。

「えっ、福島に転勤?」

「だ、だいじょうぶなの?」

「あなたたちもだけど、ほら、子どもたち・・」

福岡の母も、長野の義母も、まったく同じ反応で、動揺を隠しませんでした。

「私も一応は報道機関にいたんだから、夫の気持ちは理解できる。子どもたちは守るから!」。

と、2人の母を説得したものの、根拠のない自信も、やはり次第にしぼんでいきました。

震災から3年経ったとはいえ、当時、福島県に暮らす母親たちの不安といったらなかったと思います。

あの時もまた、コロナ同様、見えない敵と戦っていました。

子供たちをどこで遊ばせたらいいのか。

でも、子供たちは、今日も遊びたいとせがむ。屋内アスレチック、屋内砂場、朝からどこも満車でした。クルマの窓を閉めきって、さて今日はどこへ行こう・・。

そんな先の見えない暮らしに奔走していたら、あっという間に私のお腹は大きくなり、臨月に。

 

忘れもしない、そのモウスグウマレル月に、夫は、(3年間)悩みに悩んで退職願を提出したのでした。

なんて、言えば、いいの?

2人の母に。

 

私が出した答えは

「とりあえず黙っとく」。

 

産前は長野から、

産後は福岡から、

それぞれ母がお手伝いに来てくれることになっていましたが、予定日を過ぎてもなかなか生まれる気配がなく・・。

なんと、2人の母が揃う、たった1日の日程を見計らったかのように、天使はその日に生まれてきてくれました。

福島市に初雪が降った日でした。

2人の母を心配させまいと、説き伏せたことや、黙ってたこと、たくさんあります。

でも、母たるもの、全てお見通しなんですね。

私も、母になって分かりましたが、娘たちが秘密にしてることなんてすぐに分かります。

(母の日のプレゼントに、100円ショップで買った品物を隠しているってこともね!)

 

お母さん、お義母さん、いつもありがとう。

もう、大丈夫です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「関西のおばちゃん」

いわなみ家の話

第九話

「関西のおばちゃん」

 

生まれ育ちは福岡で、つい2年前に福島・会津に移住したところですが、たった1年間だけ、大阪に住んでいました。

今日はその濃密な1年の話。

最近読んだ「コンビニ人間(村田沙耶香 著)」に「喋り方に関しては身近な人のものが伝染し(中略)、大抵のひとはそうなのではないか」とありました。

まさしく私も、夫の転勤にくっついて大阪に住むことになり、関西人が聞けば笑われるようなエセ(まがいもんの)関西弁を喋っていました。

グリコも見たし、たこ焼きも、ねぎ焼きも、とん平焼きも食べた。

大阪で1歳になった長女は、うめだの阪急百貨店の屋上公園で、はじめてのあんよを達成しました。

刺激的な街、娘の成長、

でも友達おらへん。

いつもこの子と2人きりや。

 

そんな寂しい生活にカツを入れてくれたのは、兵庫県宝塚市に住むジュンコさんでした。

高校の同級生で、関西の大学に進み、大阪人の旦那様を持つ彼女は格好よい関西弁に染まっていました。

 

わたし「これから、どーしよ・・」

ジュンコ「よーちゃんも一歳になったことやし!」

わたし「ジュンちゃんしか知り合いおらんのに、パン教室できるんかいな・・」

ジュンコ「そのチラシ、かして。カラーコピーして近所にばらまいてええやろ?」

わたし「えー?だってオーブン一台しかないし・・」

ジュンコ「んなら、ポチッと買ったらええやん」

わたし「えー?」

ジュンコ「じゃ、配っとくわ~。ばいばーい!」

 

この1週間後、ジュンコさんは隣人のママ友を連れて、記念すべき第一回いわなみ家パン教室に乗り込んで来たのでした。

 

ジュンコさん、言葉もハートも関西のおば・・(失礼)マダムです。熱くて暖かい。

 

ジュンコさんの友達のハナコさん、ハナコさんの友達のトヨミさん、カナコさんにタカコさん。

笑っていいとも!ばりに、友だちの輪は広がります。

関西のおば・・(失礼)マダムたち、ひとりひとりが、今の私を大いに支えてくれるキーパーソンです。

いわなみ家関西支部のみなさん、いつか必ず会津へ、遊びに来(き)っせ~