いわなみ家の話
第140話
「高校2年生へ」
会津西陵高校(会津美里町)の「総合的な探求の時間」の授業に、「地域人」の一人としてお呼ばれして、20分の講話をしてきました。進路を決める前段階の、ゼミ選択のヒントになればいいなと思って2年生80名を前にお話してきました。
以下、スマホメモの全文です(田舎移住希望の方、パン屋に限らずひとりで事業を始めようと思っている方、進路に悩んでいる高校生、長文お付き合いください)今日の店主はアツいです(笑)
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会津美里町の八木沢という地区でパン屋をしています岩波聡子といいます。初めまして。会津に移住して7年目になります。出身は福岡で、会津には両親も知り合いもいないけど、移住しました。
今日はこんなに若い皆さんの前でお話するのを楽しみにしてきました。16歳ですか?わたし46です。30もちがう?お父さんとお母さん、いくつですか?え48?そうですよね、子供でもおかしくないのか!えー!
あと1年とちょっとで本格的に自分の将来の道に足を踏み入れる皆さんに、どんなことをお伝えすればいいかなと考えてきました。ゼミ決まりましたか?
私が高校2年生の時は、福岡県にある高校で、部員が100人を超えるような吹奏楽部で指揮者をしていました。高校の時はパン屋さんになりたいなどとは1ミリ も思っていなくて、部活と恋愛に一生懸命?で、大学受験に向けての勉強をそこそこ頑張っていました。恋愛は、してますかー?恋愛してると、何にでも頑張れるってことはありますか?ありますよねー?
同級生は関東や関西の大学を目指す中、私はやりたいことがあまり明確ではありませんでした。
大学卒業後、運良く大きな新聞社に就職が決まり、報道のカメラマンとして福岡と東京で10年ほど働きました。やりがいがあり結婚後も仕事を続けるつもりでいましたが、心と体が疲れてしまい、ちょうど30歳ぐらいの時に新聞社をやめました。新聞記者の話を聞きたい人も中にはいる?いますかー?かもしれませんが、今日はパン屋の話をしますね〜
退職後、楽しみにしていたのは、好きな人との朝ごはんや夜ご飯でした。さあ新婚生活!と思ったのですが、そこに大きな転機がありました。夫になった人は寡黙中の寡黙の人で滅多に喋りません。焼き立てのパンを出してもクッキーを出しても感想がありません。うまいから何も言わないんだ的な~(笑)昭和の男です。
この感想のなさにすっかり気落ちして、自分が作るパンは美味しくないんだ。そっか、イマイチなんだ、と思い込んでしまい、パン作りが趣味の範囲を超えることはありませんでした。
その頃、私はいわゆる専業主婦で、来る日も来る日も生まれたての赤ちゃんと暮らしていました。1年くらいたった頃、周りの友人は育休が終わって社会に戻って行きました。
私はこれからどうしよう?と思っていた頃、友人が家に遊びに来ました。パンを焼いて出すと、「これ売れるレベル!作り方を教えて」と言われました。その友人はさらに、「来週までにパン教室のチラシを作っといてね。カラーコピーして近所に配るから」と言って帰っていきました。大阪に住んでいるときの話です。この友人、さすが大阪のオバチャンって感じでしょう?
自分の自信がある特技で人様からお金をもらう。これが私のビジネスの最初の最初です。
夫の言葉だけを信じて、自分のパンは売るほどでもない、教えるほどでもないんだと思い続けていたら今の私はありません。ある意味、夫に感謝?です。
自分が自信があるもの。小さなことでもいいので、突き詰めてずっと研究し続けられるもの、ちょっとずつ日々バージョンアップできるもの、そういうものがあれば、それに対価をお金を払ったり、喜んでくれたりする人は必ずいます。1年後、5年後には自分でも想像していなかったほど上達していて、お客さんもついてきてくれます。
私は今、パン作りとパンの研究が何よりも楽しく充実していますが、自分の方向が決まったのは30歳を過ぎてからです。ヒントになったのは、味の感想をめったに言わない夫と、おせっかいな大阪の友人でしたね。
高校生のうちに、なりたい職業や夢や目標が決まっていればそれは最高ですが、決まってなくても全然大丈夫。
目の前にある、恋愛や本や音楽や映画がヒントになることは多いです。東京だけではなく、海外に出ていくのもヒントになります。突き詰めて自分の力で研究できる1つのことが見つかればそれが仕事になると思います。
次に、ありきたりですが「オリジナリティ」の話をします。
みんなと同じじゃなく、自分だけにあるオリジナリティ。自分の売り、アピールポイントみたいなことです。
パンを生業にするまでに、新聞社で働いたり、東京や大阪で暮らしたり、子供が生まれたり、福島に移住したり、八木沢に古民家を買ったり、いろんな脇道に逸れましたが、全て役に立ちます。脇道に逸れたことが自分のオリジナリティを作ります。
東日本大震災から14年が経ちましたが、そのころ皆さんはまだ3歳くらいでしたか?え?2才?小さかったんですね。大切な人を亡くした方もいるかもしれません。そして、ご両親は幼ない皆さんを育てるのに、すごく悩んだと思います。
コロナのときもそうでしたが、原発事故もそうです。今まで経験したことのない状況で、自分はともかく、小さな我が子をどうやって守り育てていけばいいのか、親御さんは悩んだと思います。
ワタシもその一人で、震災の2年後に2人の幼い子、そのうち1人はお腹の中にまだいたのですが、を連れて福島に移住したときは、正直とても不安でした。みなさんも自分の赤ちゃんを育てることを想像してみてください。外で遊ばせてもいいのか、この野菜は食べさせても大丈夫なのか、洗濯物は外に干していいのか、とか。
もう私の福島県民歴は10年を超えました。住むと離れられない良さがわかって今に至ります。この高校のすぐそこのローソンからの眺め。今ちょうど体育館からも見えますよね。残雪の山と、満開のサクラ。なかなかない絶景です。これが福島の、会津の、素晴らしい風景です。みなさんはこれから東京や大阪や海外を目で見て、そして会津に戻ってきたとき、分かると思います。
皮肉な話ですが、震災がなければわたしはこの素晴らしい福島、会津のド田舎で、ひとりでパン屋をしようとは考えなかったでしょう。ド田舎とは失礼かもですが、これはすごいオリジナリティ、魅力です。
そうそう、椎名林檎さん、知ってますか?お、聞いてる?いいですよね。私は中学生のとき椎名と同じクラスだったんです。彼女の歌に「正しい街」というのがあります。「百道浜も君も室見川も無い」という歌詞があるんですが、百道浜も室見川も彼女と私の通学路にある浜辺と川の名前です。そういう、根っこの部分にオリジナリティがあります。
今みなさんが、この環境で学んでいることも、渋谷や原宿の高校生にはない強みです。社会人になったとき、地元話がおもしろい人はほんとうに魅力的です。雪がこのくらい降ったとか、クマがしょっちゅう出るとか、通学路の田んぼに白鳥がいるとか、電車が1時間に1本とかね。学校内でも、会津あるあるの話がいっぱいあると思います。
方言もそう。「だから〜」とかね。移住した当初、私は「春だねーあったかくなったねぇ」と話しかけて「だから~」って言われて、はっ?となりました。「だから」の続きがあると思って聞いていたら、ないんです。「だから」は「そうそう」っていう同意のあいづちみたいなものですよね?「だからだから」といえばもっと同意してる感じがでるとか、おもしろいですよね。
方言だからと言ってはずかしがって隠したりしない。それは魅力ですからね。
オリジナリティを自分の売りとして、話の引き出しを今から貯めていって、魅力的な人になってください。