「天然酵母と育児」

いわなみ家の話

第七話

「天然酵母と育児」

 

「なぜ、自家製天然酵母でパンを焼いているんですか?なぜ、自家製天然酵母にこだわるのですか?」

 

パン屋になってよく聞かれることです。

 

答えは2つ。

おいしいから。

育児とパン活動を両立できるから。

 

8年前、生後半年の長女に小麦アレルギーが判明し、パン活を自粛。

でも私は、長女のアレルギー症状が和らぐや否や、活動を一部再開させる、こそくな母なのでした。

「寝落ち」なんかしていられません。

(添い寝でトントンとしているうちに、親のこっちが先に寝てしまう、寝落ち。最近ではパン屋がない日に、至福の寝落ちパラダイスやっちゃってますが。)

彼女が寝ている間がパン活のチャンス!

スヤスヤ寝息を確認したら、そっと腕枕を外して、台所へソロリソロリと移動。

前の晩に仕込んで、冷蔵庫で低温長時間発酵をさせていた生地を取り出し、夜な夜な焼いていました。

パンを発酵させるパン酵母は、

イースト菌と天然酵母菌が代表的です。

イースト菌はサッカロマイセスセレジビエという、1度聞いたらすぐ忘れそうな(笑)、パンの発酵に特化したパワーの強い菌で、無菌状態の工場で作られます。

対して、(自家製)天然酵母は様々な果物や穀物に付着している酵母を起こしたもの。自宅で、様々な常在菌とともに作ることができます。

パン生地を膨らませるパワーで考えると、

イースト菌と天然酵母では

10対3 くらいでしょうか。

 

「パワーが弱い=発酵時間が長く必要」。

自家製天然酵母の長時間発酵が、子育て中にはとても好都合だったのです。

イースト菌のパン作りはノンストップです。こねはじめると、40分ほどで膨らんで、次の作業に移らなければならないし、焼き上がるまでの約3時間、ずっとつきっきりになります。子育て中、それはとてもできません。

 

小さな子供は午前中のごきげんタイムが勝負。朝からベビーカーに乗せ、風を浴び、子育て支援センターで体を動かし、いかに体力消耗してもらうかを考えていました(笑)。

全ては彼女の質の高い眠りのため?

子も母もWin-Winの関係にならなくちゃ。何としてでも、育児以外のひとり時間を作る。

今夜も冷蔵庫にパン生地がスタンバイしていますからね。懲りない母ちゃんのお楽しみタイムのためでした。

長女の成長と、胃腸の発達、段階的な小麦除去食、そして夜中に限定したパン活の結果(?)、

小麦アレルギーは幸いにも数値が下がり、克服することができました。

 

 

やってることはパン屋になった今の自分と変わりません。

子供らが深い眠りについた午前1時に起きて、パン生地を冷蔵庫から取り出し、翌朝7時まで、好きなラジオを聞きながら焼いています。

そして今夜も、菅田将暉のオールナイトニッポン!

 

 

 

【5月2日(日)完売】

【5月2日(日)完売しました】

今日せっかく並んでいただいたのにパンが足りずに申し訳ありませんでした。

5月4日(火)10時30分、また縁側でお待ちしてます!

 

 

 

 

 

 

 

一晩中、降り続いた雨が上がりました。感染がやみませんが、家で食べてもらういつものパン焼きました。お待ちしてます。家族やいつもの仲間と過ごしましょう。GW(=ガマンウィーク)らしいですよ、福島民友4コマまんがより。

山食
アーモンドトースト
パン・ド・カンパーニュ
ノアレザン
チーズとナッツのハードパン
抹茶ベーグル
塩あんこベーグル
チョコクランベリーベーグル
黒ごまチーズベーグル
ブルーベリーベーグル
ブルーベリーベーグルクリームチーズサンド
ショコラオランジュ
マロングラッセのバトン
いわなみ家のグラノーラ
珈琲舎雅のドリップコーヒーパック

 

「食物アレルギー」

いわなみ家の話

第六話

「食物アレルギー」

 

【午前9時】授乳◯、うんち◯ (普通)

【午後1時】授乳◯、うんち△(かため)

【午後5時】授乳◯、おふろ(よーちゃん、ごきげん)

 

初めての育児。

簡単な育児日記と同時に、私が欠かさずつけていたのは、

「パンのデータBOOK」

 

【こねあげ】 23℃

【1次発酵】 25℃ 1時間のちパンチ、室温20℃3時間のち、冷蔵庫8時間

【2次発酵】 25℃40分

【焼成】予熱250℃、230℃に下げて20分

 

など。

 

生後4ヶ月目くらいの育児日記には

【ようちゃん、身体じゅう、痒そう。血が出るまでかきむしってしまう。なぜ?】

 

そのころ長女は、頭皮、耳の裏、ほっぺたや腕まで、身体じゅうを痒がりはじめました。見ていてかわいそうなくらいに。

皮膚科で保湿クリームをもらいますが、改善はみられず、医師の勧めで、生後半年の健康診断でアレルギー検査をすることになりました。

「お母さん、原因は小麦ですねー」

「えっ?!」

子供が小麦アレルギー?

No wheat, no bread.

私のパン作りには、小麦なくしてパンはあり得ない。

それこそ、私のパンの未来予想図がガタガタと音を立てて崩れ落ちました。

 

その後、お医者さんの説明も、上の空。

「原因は所説ありますけどもね、そのひとつで、蕎麦屋の息子が蕎麦アレルギーってのはよくある話でね、必要以上のアレルギー物質を食べたり、体に付着したりすると、赤ちゃんの体はアレルギー反応を起こしてしまうことがありますね・・」

 

ん?思い当たる節がありすぎる。

抱っこひもでだっこやおんぶをしながら、小麦粉を計量し、パンの試作をしては、日々データBOOKをつけていました。

多分、この賃貸の我が家には、普通の家庭より多くの小麦粉が空気中に漂っていて、それを浴びるような暮らしをしていたんだ・・。母親の私の、熱中が過ぎたばっかりに、こんなに小さな我が子に辛い思いをさせてしまった・・。私の母乳も小麦の含有量が多かったのかもしれない・・。なんて母親だ。

爪でかきむしるあまり、両手に小さなミトンを着けさせられたヨーコに謝るしかありませんでした。

 

さて、これから私はどうしたらいいのか。当時住んでいた、大阪・豊中市の病院から途方にくれてベビーカーを押して帰宅しました。

それからはパン作りを封印し、家と地域の子供支援センターを往復する毎日を自らに課しました。

懺悔のような気持ちで。

 

 

 

 

 

 

「夫のおかげ」~with a bit of irony~

いわなみ家の話

第五話

「夫のおかげ」~with a bit of irony~

 

おおー、いわなみ家さんよ~

第五話にしてオノロケかよ~

ちょいと待ってよ、そこの読者さん。

ま、そう言わず読んでみて♡

 

「目の前の人のお腹を満たすものを、手渡しするようなことしたい」と漠然とした思いを持ちながら20代を過ごしました。

新聞社時代は、宿直勤務(午後3時~翌日昼頃まで)の出社前にパンが焼き上がるようにして、出社しては同僚に押し付けていました。でも、

「江口くん、すぐ出てきて」

と午前中にデスクから電話が鳴ったら最悪です。

「いま、二次発酵中なんです」

とは言えないのでね。

泣く泣く生地を冷蔵庫に突っ込んで、化粧もそこそこに現場へ急行です。

 

そして20代を1ヶ月だけ残して結婚。

恋愛の経験がある方ならみんなそうだと思いますが、目の前の人のお腹を満たして「おいしい」って言ってもらいたい。

 

「焼けたよ~」

「うん」

「ど?」

「うん」

「おいしい?」

「ん」

 

もはや誘導尋問。

私の結婚相手は顔に「寡黙」と書いてあるほどの寡黙な人だったのです。

omg

不言実行の彼に惹かれて結婚しましたが、有言、公言、なんなら紙に書き出して壁に張って実行の私とは、正反対。

このままリアクションのないパン焼きをしていられない。

夫のおかげで、目が覚めました。

 

まずいぞ、だれか、食べてくれる人を見つけなくちゃ。

いたいた、ここに、と胸元で眠るのは生後間もない長女。

離乳食もまだなのに、そんな何年も待てないよ~。

 

仕事をやめて一時的に専業主婦となり、家の中で悶々とする日々がはじまっていましたが、

「ヨーコが一歳になったらパン教室やる」

と手帳に書き殴りました

 

 

「パートの岩波さん」

いわなみ家の話

第四話

「パートの岩波さん」

 

名門パン学校を卒業したくらいで、そう簡単にパン屋になれるはずもなく・・・

31歳の学生が次に選んだのは、

ごく普通の、「パートの岩波さん」でした。

パートの岩波さん、恋に落ちる?

 

以下は、2019年の暮れ、今のパン屋さんを開業した頃にインスタグラムに投稿した記事です。

(加筆あり)

私30前まで新聞社で働いてましたが、その退職金のほとんどを東京のパン学校につぎ込みました。

パン学校を良い成果で卒業できたので、働いてみたいパン屋に推薦してもらうことができ、1年半という短い期間でしたが、東京駅の駅ナカ、ドミニクサブロンというパン屋さんで修行しました。朝5時半のメトロに乗って。

修行といっても、「パートの岩波さん」が任されたのは、デニッシュのナパージュ(つや出しのあんずジャム)ぬり、粉糖がけ、各種クリーム作り、、、。来る日も来る日も麺台(スーパースターの先輩たちがパン生地を成形するところ)をチラチラ見ながらナパージュを塗っていました。

ある日、榎本哲シェフから、「岩波さん麺台入って」と言われ、ドッキドキで憧れの成形をさせてもらえました。その後、焼成、シーター(クロワッサンなどの折り込み生地作り)など覚えていきました。

部下の働きをすべて把握していて、的確な指導をするシェフは、暇さえあれば、ほうきで床そうじをしていました。もう一人の女性パン職人、最上さんは営業の最後に床を這いつくばってぞうきんがけする人でした。すごい人の背中を見てすごい人が育っている環境でした。

わたしがシェフに指導を受けたのは1年半で総計30分くらいなものです。あのとき5分、あのとき10分。

その数分ずつを今に抱えてパン焼いています。片思いしているのがバレバレですね!!(笑)

先日、思いがけず、シェフからメッセージが。

「開店祝いにシュトーレン送らせてください。体に気をつけて楽しく仕事してください」と。

主婦の岩波さんが店ひらくってどこでご存知になったかもわかりませんが、感涙でした。

榎本哲シェフは当時、都内に何店舗も支店を持つドミニクサブロンの統括シェフでした。

パートの身分にはまさに雲の上の人。

「今日、榎本さん来るってよ!」

「やっべ!」

の日は、工房がざわつき、スタッフみんなが掃除を始めたものでした。

榎本シェフ、現在は、東京・神楽坂にご自身がオーナーシェフを努めるパン屋を開いています。

先日お見かけした、料理雑誌の写真にも、工房の奥にあこがれのお姿が。

ほうきで床そうじしていらっしゃいました!