いわなみ家の話
第11話
「子連れ無職夫婦」
「大」新聞社を退職して待ち受けていたのは、高額な健康保険料と住民税でした。
「去年までたくさん給与をもらってたってことだよね~」とは言っても、退職後すぐにフリーランスの仕事が軌道に乗るわけでもありません。
フリーランスのフは、
不安定のフ、負け犬のフ、なのかーー?!
組織に属さない生き方を決めた私たちは、かっこよく横文字で言うならフリーランス。正直に認めるなら無職夫婦。
後者の方が的を射ています。
フリーランスに優しくない国の制度だよね、、と愚痴を吐いても、払うものは払わねば。
横長の振込用紙、嫌いになりました。
当時、夫婦共用のクレジットカードと銀行口座に財源がありました。
2人とも組織にいたころは同額を定期的に振り込み、一足先に私が退職してからは、夫が会社の給与から一部を口座に入金してくれていました。
ダイコン、ニンジン、ポテチ、トイレットペーパー。カードさえあれば必要なときに必要なだけ。ザル勘定でした。
次女が3歳ごろの事。
横長の振込用紙が、再び、ちらほら郵送されるようになりました。
「残高不足」
「取引不能」
「未納のお知らせ」
次女の生きた年数は、我々夫婦のフリーランス期間。
恥ずかしながら、三年かかってやっと、夫婦共用の銀行口座が底をついたことを知りました。
灯油宅配の引き落としがストップしたときは、文字通り身も心も震えました。
寒い寒いと子供らがビービー泣くなんて、いつの時代の話でしょう・・。
平成が終わろうとしていました。
「家賃を払い続ける生活を終わりにしたい」
「ヨーコ(長女、当時5歳)が小学生になるまでには移住先を決めよう」
お金のことで言い争いが絶えなかった我々も、さすがに、口座の底を見て顔色が変わりました。
持ち家が持てれば、でっかい業務用オーブンが買える?パン屋開業できる?このじり貧生活を抜け出せる・・かも?
もっと働かないと、このままでは、だめになってしまう。
焦るばかりで何も進まない日々が続きました。
イワナミサトコ暗黒時代です。