いわなみ家の話
第十話
「2人の母」
私たち家族にとって、初めての福島は東日本大震災後の2014年春でした。
3人 + お腹の中にもう1人。
「被災地の最前線で取材したい」。
夫の強い希望で、また転勤です。
東京と大阪、それまでクルマの要らない生活をしていた私たちは、新生活を控えてカーディーラーにいました。
「えっ、福島に転勤?」
「だ、だいじょうぶなの?」
「あなたたちもだけど、ほら、子どもたち・・」
福岡の母も、長野の義母も、まったく同じ反応で、動揺を隠しませんでした。
「私も一応は報道機関にいたんだから、夫の気持ちは理解できる。子どもたちは守るから!」。
と、2人の母を説得したものの、根拠のない自信も、やはり次第にしぼんでいきました。
震災から3年経ったとはいえ、当時、福島県に暮らす母親たちの不安といったらなかったと思います。
あの時もまた、コロナ同様、見えない敵と戦っていました。
子供たちをどこで遊ばせたらいいのか。
でも、子供たちは、今日も遊びたいとせがむ。屋内アスレチック、屋内砂場、朝からどこも満車でした。クルマの窓を閉めきって、さて今日はどこへ行こう・・。
そんな先の見えない暮らしに奔走していたら、あっという間に私のお腹は大きくなり、臨月に。
忘れもしない、そのモウスグウマレル月に、夫は、(3年間)悩みに悩んで退職願を提出したのでした。
なんて、言えば、いいの?
2人の母に。
私が出した答えは
「とりあえず黙っとく」。
産前は長野から、
産後は福岡から、
それぞれ母がお手伝いに来てくれることになっていましたが、予定日を過ぎてもなかなか生まれる気配がなく・・。
なんと、2人の母が揃う、たった1日の日程を見計らったかのように、天使はその日に生まれてきてくれました。
福島市に初雪が降った日でした。
2人の母を心配させまいと、説き伏せたことや、黙ってたこと、たくさんあります。
でも、母たるもの、全てお見通しなんですね。
私も、母になって分かりましたが、娘たちが秘密にしてることなんてすぐに分かります。
(母の日のプレゼントに、100円ショップで買った品物を隠しているってこともね!)
お母さん、お義母さん、いつもありがとう。
もう、大丈夫です!