いわなみ家の話
第83話
ファイトソングを聴いて不意に涙が出た。
こんなにまじめにやっているのになぜ結果が出ない?
あまねく挫折に光あれ。願わなきゃ傷つかなかった。望まなきゃ失望もしなかった(菅田将暉「ロングホープ・フィリア」)
菅田さん、いつ光が見えるんでしょうか。
何をやっていても胸がつかえて苦しい。
歌や文章に涙もろくなる。
これは…
なかなか結実しない恋をしているときに、世の中にあふれる恋だの愛だのを語る歌に共感し涙する感覚と一緒。
山食失敗談にここまでお付き合いしていただく予定ではなかったのですが…。
ああトンネルが長い。光が見えない。
もう何が原因か見当もつかず、悔しさやなぜ?を通り越して「念」や「意地」でパン生地を膨らまそうとしている自分。
昨日なんて午後5時に二次発酵を始めた生地が膨らまず、意地になって発酵機の前に張りついていたら午前2時。二次発酵に9時間なんてアリエナイ。案の定、オーブンの中で生地は萎んでいきました。
「一番の夢は現状維持。現状維持ってすごく難しいんですよ。夢を追いかけるのは簡単なんやけどもね」(明石家さんまさんインタビュー記事。5月21日付け読売新聞)
「ベストスコアを維持するっていうのも難しくておもしろいんだよ」と先輩が言っていた(若林正恭著「ナナメの夕暮れ」より)
いつもの元種で、いつもの粉で、いつものこね方で、いつも通りに焼いて満足のいく山食ができていた、あの頃に戻れたら。
もちろん念や意地ではパンは膨らまない。ググって原因が見つかればこんなに苦しまない。SNSにはカッコイイパンしか載ってない。読み漁った専門書をもういちど開く気力もない。
ならば。最後の手段。
「Eシェフ、お久しぶりです。ここ1ヶ月、山食だけが膨らみません。シェフは私にとって雲の上の存在だし、シェフにはたくさんの弟子のパン職人がいらっしゃるので、このような相談はご迷惑かと思ったのですが、苦しすぎて…メッセージ送ります」
メッセージの送信先は、わたしが尊敬するEシェフ。10年前、東京駅地下のパン屋で働いていたときの、統括シェフ。
シェフがパン生地を成型する姿を見れた日はラッキーで、直接指導を受けた数十分のことなど、いまだに覚えているくらい。
メッセージに「既読」になってすぐ返事がきました。キターーー。
「ルセット(レシピ)送ってください」
「工程と工房環境も」
挨拶もすっ飛ばした、短く簡潔な文章にただただ感激。
「スキムミルクは最近変えましたか」
「材料で原因になるのはスキムミルクと小麦粉だけど、変更してないなら乳タンパクは問題なさそう。ルヴァンはどうですか」
夢のような事情聴取は続きます。
「ルヴァン(元種)のpHは重要です。舌で舐めて味に慣れておくといいですよ。液種(レーズンエキス)もすべて、うちは舌で確認します」
「舐めて梅干しくらい酸っぱいと厳しいですね。pH4以下は避けた方がいい」
メッセージのやりとりに、ほとんど山食スランプを忘れそうな高揚感に包まれました。
また明日もやってみよう。
「今、自分のルヴァンなめてみました。薄い酢水のような、舌先が軽くぴりぴりするような感じです。でもどうして、ノアレザンやベーグルは調子よく膨らむのに、山食だけ膨らまないんでしょう?」
「?」
「ルヴァンは同じ?」
「うーん。ちょっと仕事戻ります。またあとで」
仕事に戻りますだって、カッコよ…。
その背中を想像して目をハートにしてる場合じゃないぞ自分。
あの山食とヨリを戻す日まで、両想いになる日まで、腐るわけにはいかない。
(シェフはお仕事にいったきりです。また後日、続編としてお知らせできるかもしれません。それにしても、シェフのルヴァンを舐めてみたい!)