【5月16日(日)ラインナップ】

【5月16日(日)ラインナップ】

 

山食
パンドカンパーニュ
アーモンドトースト
ノアレザン
ナッツとチーズのハードパン
抹茶かのこベーグル
ブルーベリーベーグル
ブルーベリーベーグルクリームチーズ入り
塩あんこベーグル
黒ごまチーズベーグル
マロングラッセのバトン
ショコラオランジュ
やっこいあんバターサンド
いわなみ家のグラノーラ

「子連れ無職夫婦」

いわなみ家の話

第11話

「子連れ無職夫婦」

 

「大」新聞社を退職して待ち受けていたのは、高額な健康保険料と住民税でした。

「去年までたくさん給与をもらってたってことだよね~」とは言っても、退職後すぐにフリーランスの仕事が軌道に乗るわけでもありません。

フリーランスのフは、

不安定のフ、負け犬のフ、なのかーー?!

 

組織に属さない生き方を決めた私たちは、かっこよく横文字で言うならフリーランス。正直に認めるなら無職夫婦。

後者の方が的を射ています。

フリーランスに優しくない国の制度だよね、、と愚痴を吐いても、払うものは払わねば。

横長の振込用紙、嫌いになりました。

 

当時、夫婦共用のクレジットカードと銀行口座に財源がありました。

2人とも組織にいたころは同額を定期的に振り込み、一足先に私が退職してからは、夫が会社の給与から一部を口座に入金してくれていました。

ダイコン、ニンジン、ポテチ、トイレットペーパー。カードさえあれば必要なときに必要なだけ。ザル勘定でした。

 

次女が3歳ごろの事。

横長の振込用紙が、再び、ちらほら郵送されるようになりました。

「残高不足」

「取引不能」

「未納のお知らせ」

 

次女の生きた年数は、我々夫婦のフリーランス期間。

恥ずかしながら、三年かかってやっと、夫婦共用の銀行口座が底をついたことを知りました。

灯油宅配の引き落としがストップしたときは、文字通り身も心も震えました。

寒い寒いと子供らがビービー泣くなんて、いつの時代の話でしょう・・。

平成が終わろうとしていました。

 

「家賃を払い続ける生活を終わりにしたい」

「ヨーコ(長女、当時5歳)が小学生になるまでには移住先を決めよう」

お金のことで言い争いが絶えなかった我々も、さすがに、口座の底を見て顔色が変わりました。

 

持ち家が持てれば、でっかい業務用オーブンが買える?パン屋開業できる?このじり貧生活を抜け出せる・・かも?

もっと働かないと、このままでは、だめになってしまう。

焦るばかりで何も進まない日々が続きました。

イワナミサトコ暗黒時代です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2人の母」

いわなみ家の話

第十話

「2人の母」

 

私たち家族にとって、初めての福島は東日本大震災後の2014年春でした。

3人 + お腹の中にもう1人。

「被災地の最前線で取材したい」。

夫の強い希望で、また転勤です。

東京と大阪、それまでクルマの要らない生活をしていた私たちは、新生活を控えてカーディーラーにいました。

「えっ、福島に転勤?」

「だ、だいじょうぶなの?」

「あなたたちもだけど、ほら、子どもたち・・」

福岡の母も、長野の義母も、まったく同じ反応で、動揺を隠しませんでした。

「私も一応は報道機関にいたんだから、夫の気持ちは理解できる。子どもたちは守るから!」。

と、2人の母を説得したものの、根拠のない自信も、やはり次第にしぼんでいきました。

震災から3年経ったとはいえ、当時、福島県に暮らす母親たちの不安といったらなかったと思います。

あの時もまた、コロナ同様、見えない敵と戦っていました。

子供たちをどこで遊ばせたらいいのか。

でも、子供たちは、今日も遊びたいとせがむ。屋内アスレチック、屋内砂場、朝からどこも満車でした。クルマの窓を閉めきって、さて今日はどこへ行こう・・。

そんな先の見えない暮らしに奔走していたら、あっという間に私のお腹は大きくなり、臨月に。

 

忘れもしない、そのモウスグウマレル月に、夫は、(3年間)悩みに悩んで退職願を提出したのでした。

なんて、言えば、いいの?

2人の母に。

 

私が出した答えは

「とりあえず黙っとく」。

 

産前は長野から、

産後は福岡から、

それぞれ母がお手伝いに来てくれることになっていましたが、予定日を過ぎてもなかなか生まれる気配がなく・・。

なんと、2人の母が揃う、たった1日の日程を見計らったかのように、天使はその日に生まれてきてくれました。

福島市に初雪が降った日でした。

2人の母を心配させまいと、説き伏せたことや、黙ってたこと、たくさんあります。

でも、母たるもの、全てお見通しなんですね。

私も、母になって分かりましたが、娘たちが秘密にしてることなんてすぐに分かります。

(母の日のプレゼントに、100円ショップで買った品物を隠しているってこともね!)

 

お母さん、お義母さん、いつもありがとう。

もう、大丈夫です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【臨時休業のお知らせ】

【臨時休業のお知らせ】

5月9日(日)
5月11日(火)

お店は臨時休業です。

ウチは、普段の食事パンを提供するパン屋なので、できる限りお店を開いていたいのですが。

この1週間の会津若松市や会津美里町の状況を踏まえ、2営業日はお休みとします。

近いうちに、みなさんに会えますように!

「関西のおばちゃん」

いわなみ家の話

第九話

「関西のおばちゃん」

 

生まれ育ちは福岡で、つい2年前に福島・会津に移住したところですが、たった1年間だけ、大阪に住んでいました。

今日はその濃密な1年の話。

最近読んだ「コンビニ人間(村田沙耶香 著)」に「喋り方に関しては身近な人のものが伝染し(中略)、大抵のひとはそうなのではないか」とありました。

まさしく私も、夫の転勤にくっついて大阪に住むことになり、関西人が聞けば笑われるようなエセ(まがいもんの)関西弁を喋っていました。

グリコも見たし、たこ焼きも、ねぎ焼きも、とん平焼きも食べた。

大阪で1歳になった長女は、うめだの阪急百貨店の屋上公園で、はじめてのあんよを達成しました。

刺激的な街、娘の成長、

でも友達おらへん。

いつもこの子と2人きりや。

 

そんな寂しい生活にカツを入れてくれたのは、兵庫県宝塚市に住むジュンコさんでした。

高校の同級生で、関西の大学に進み、大阪人の旦那様を持つ彼女は格好よい関西弁に染まっていました。

 

わたし「これから、どーしよ・・」

ジュンコ「よーちゃんも一歳になったことやし!」

わたし「ジュンちゃんしか知り合いおらんのに、パン教室できるんかいな・・」

ジュンコ「そのチラシ、かして。カラーコピーして近所にばらまいてええやろ?」

わたし「えー?だってオーブン一台しかないし・・」

ジュンコ「んなら、ポチッと買ったらええやん」

わたし「えー?」

ジュンコ「じゃ、配っとくわ~。ばいばーい!」

 

この1週間後、ジュンコさんは隣人のママ友を連れて、記念すべき第一回いわなみ家パン教室に乗り込んで来たのでした。

 

ジュンコさん、言葉もハートも関西のおば・・(失礼)マダムです。熱くて暖かい。

 

ジュンコさんの友達のハナコさん、ハナコさんの友達のトヨミさん、カナコさんにタカコさん。

笑っていいとも!ばりに、友だちの輪は広がります。

関西のおば・・(失礼)マダムたち、ひとりひとりが、今の私を大いに支えてくれるキーパーソンです。

いわなみ家関西支部のみなさん、いつか必ず会津へ、遊びに来(き)っせ~